2012年03月11日
1年前のあの日の出来事
先程、弊社の特番放送終了しました。 
今、一人でえふえむ草津のスタジオにいます。あの日のことゆっくり考えたくて・・・
平成23年(2011年)3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から一年が経過しました。
お亡くなりになられたかたのご冥福をお祈りいたしますとともに、被害に遭われた皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。
昨年の3.11「東日本大震災」の事は今も昨日の事のように思いだされます。
今まで話してこなかったあの日の出来事を書き残しておきたいと思います。
次の日が南草津に初めて新快速が止まる日。
私が式典司会を行うことになっていまして午前中JRさん草津市さんと最終原稿の詰めをしていました。
お昼から別件のスポンサーさんのところで打ち合わせを行い事務所に帰ってくる途中、車の中で地震に遭遇。
そんなに強い揺れではなかったので大丈夫と思いましたが、草津市の危機管理課に市内の状況を問い合わせると特に被害はないということでした。
ところがしばらくしてから草津市の危機管理課から連絡が入り...東北地方がひどい被害にあるとの連絡、そしてそのあとNHK大津放送局さんから電話が入り、大変な状況である旨を聞きました。
なぜNHK大津局から連絡が入ったかというと、前日の10日に災害時のニュースソースの交換協定書を交わしていて、被害があった場合にお互いの情報を交換することを約束していたからなんです。
滋賀は被害はなかったが東北がひどいことになっている、NHKは全国ネットだからニュースをリライとして使ってくださいとのことでした。
その間に草津市からは国の内閣府からくる情報がFAXで続々と送られてきます。
これは大変なことが起こったと思いました。市内一斉緊急放送システムは、近畿総合通信局との取り決めで被害があった時のみ外部のスピーカーから放送を流すことになっています。
こちらに被害がないのに放送をするべきかどうか私は迷いました。なぜならば、こちらでは何事もなかったように市民参加番組の収録が行われようと市民サポーターの方たちが集まって来ていた時間でした。
それに草津市とも話をして内容を詰めないと単独では判断ができません。
連絡しようと思った時、危機管理課のOさんから連絡が入りました。市内一斉緊急放送システムを使うべきだと思うので上司に許可を取りたいが酒井さんの意見は・・・と聞かれました。運用するのであれば上司の許可を取るので返事が欲しいとのことでした。
一瞬躊躇しました。なぜなら、草津市に被害があった時のみ運用するようにと近畿通信局から言われていたことと、制作のスタッフがたまたまいない時間帯、それに運用開始してまだ1度しか試験をしていません。
しかも、制作チーフはお休みの日でした。
でも、すぐ決断し放送しますと伝えました。
Oさんは、わかりました何としても上司を説得しますと・・・。
草津市の根回しまでに若干の時間がかかるのでその間に電話で制作チーフに機材の使い方をレクチャーしてもらい、私の声で起きた地震の事、明日のJR南草津新快速停止イベントが中止になった旨を伝えました。
近畿通信局には事後報告を行いました。
これが、あの日の出来事です。上手くいったのかどうなのか、外部スピーカーを使うべきだったのかそうじゃなかったのかいろんなご意見はでていました。
しかし私は運用して良かったのではないかと思っています。
次の日、弊社は収録放送。
こちらの被害もなかったのでスタッフは自宅待機、私一人で局へ。
市役所からの情報をもとに通常放送の中に地震情報を入れ放送しました。
生放送に切り替えて地震の情報を放送するには地域のメディアであるコミュニティ放送局では情報が少なすぎます。
全国ネットではない弊社に入ってくる現地での情報はごくごく限られています。
被害のあるコミュニティ放送局に連絡を取ることは憚られます。
NHK大津局さんやFM滋賀さんは、東京のキー局に切替え放送されて独自情報を放送されています。
正直、力の差を感じました。
リスナーさんから何件かメールが入りました。
なぜ、現地の様子を伝えてくれない。現地には親戚が住んでいる。出張で知り合いが現地に行っている、連絡が取れない。現地の様子が知りたい!!
地域の為の放送と言いながら、地域に関係する人の安否がわからないのになぜ放送しない。
えふえむ草津は、地域の人を裏切る局だと声を大にして言いたい。
そんな、メールでした。辛かった・・・
気持ちは痛いほどわかりました。力が足らないのが悲しかった。
通常放送の中に、分かっている被害情報を入れていくことしかできませんでした。
せめて、放送を聞いてらっしゃらない方の為に情報を伝えよう!
分かる限りの情報を放送で伝え、ホームページ上で情報を打ち込んでいきます。
そんなことしかできませんでした。
あの時の対応があれで良かったのかどうかはお一人お一人が感じて下さることだと思います。
この時の気持ちが、滋賀県内のラジオ放送局連携の機動力になったと言っても過言ではありません。
地域のコミュニティ放送局が出来ることの限界。それを強く知った日でもありました。
そのために、滋賀県内の局が連携して放送する事の意味があるのです。
私たちは、あの時のこと忘れてはならないと思います。
まだ、終わってはいないのですから・・・
3.11東日本大震災から1年経った今日あの日の出来事

今、一人でえふえむ草津のスタジオにいます。あの日のことゆっくり考えたくて・・・
平成23年(2011年)3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から一年が経過しました。
お亡くなりになられたかたのご冥福をお祈りいたしますとともに、被害に遭われた皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。
昨年の3.11「東日本大震災」の事は今も昨日の事のように思いだされます。
今まで話してこなかったあの日の出来事を書き残しておきたいと思います。
次の日が南草津に初めて新快速が止まる日。
私が式典司会を行うことになっていまして午前中JRさん草津市さんと最終原稿の詰めをしていました。
お昼から別件のスポンサーさんのところで打ち合わせを行い事務所に帰ってくる途中、車の中で地震に遭遇。
そんなに強い揺れではなかったので大丈夫と思いましたが、草津市の危機管理課に市内の状況を問い合わせると特に被害はないということでした。
ところがしばらくしてから草津市の危機管理課から連絡が入り...東北地方がひどい被害にあるとの連絡、そしてそのあとNHK大津放送局さんから電話が入り、大変な状況である旨を聞きました。
なぜNHK大津局から連絡が入ったかというと、前日の10日に災害時のニュースソースの交換協定書を交わしていて、被害があった場合にお互いの情報を交換することを約束していたからなんです。
滋賀は被害はなかったが東北がひどいことになっている、NHKは全国ネットだからニュースをリライとして使ってくださいとのことでした。
その間に草津市からは国の内閣府からくる情報がFAXで続々と送られてきます。
これは大変なことが起こったと思いました。市内一斉緊急放送システムは、近畿総合通信局との取り決めで被害があった時のみ外部のスピーカーから放送を流すことになっています。
こちらに被害がないのに放送をするべきかどうか私は迷いました。なぜならば、こちらでは何事もなかったように市民参加番組の収録が行われようと市民サポーターの方たちが集まって来ていた時間でした。
それに草津市とも話をして内容を詰めないと単独では判断ができません。
連絡しようと思った時、危機管理課のOさんから連絡が入りました。市内一斉緊急放送システムを使うべきだと思うので上司に許可を取りたいが酒井さんの意見は・・・と聞かれました。運用するのであれば上司の許可を取るので返事が欲しいとのことでした。
一瞬躊躇しました。なぜなら、草津市に被害があった時のみ運用するようにと近畿通信局から言われていたことと、制作のスタッフがたまたまいない時間帯、それに運用開始してまだ1度しか試験をしていません。
しかも、制作チーフはお休みの日でした。
でも、すぐ決断し放送しますと伝えました。
Oさんは、わかりました何としても上司を説得しますと・・・。
草津市の根回しまでに若干の時間がかかるのでその間に電話で制作チーフに機材の使い方をレクチャーしてもらい、私の声で起きた地震の事、明日のJR南草津新快速停止イベントが中止になった旨を伝えました。
近畿通信局には事後報告を行いました。
これが、あの日の出来事です。上手くいったのかどうなのか、外部スピーカーを使うべきだったのかそうじゃなかったのかいろんなご意見はでていました。
しかし私は運用して良かったのではないかと思っています。
次の日、弊社は収録放送。
こちらの被害もなかったのでスタッフは自宅待機、私一人で局へ。
市役所からの情報をもとに通常放送の中に地震情報を入れ放送しました。
生放送に切り替えて地震の情報を放送するには地域のメディアであるコミュニティ放送局では情報が少なすぎます。
全国ネットではない弊社に入ってくる現地での情報はごくごく限られています。
被害のあるコミュニティ放送局に連絡を取ることは憚られます。
NHK大津局さんやFM滋賀さんは、東京のキー局に切替え放送されて独自情報を放送されています。
正直、力の差を感じました。
リスナーさんから何件かメールが入りました。
なぜ、現地の様子を伝えてくれない。現地には親戚が住んでいる。出張で知り合いが現地に行っている、連絡が取れない。現地の様子が知りたい!!
地域の為の放送と言いながら、地域に関係する人の安否がわからないのになぜ放送しない。
えふえむ草津は、地域の人を裏切る局だと声を大にして言いたい。
そんな、メールでした。辛かった・・・
気持ちは痛いほどわかりました。力が足らないのが悲しかった。
通常放送の中に、分かっている被害情報を入れていくことしかできませんでした。
せめて、放送を聞いてらっしゃらない方の為に情報を伝えよう!
分かる限りの情報を放送で伝え、ホームページ上で情報を打ち込んでいきます。
そんなことしかできませんでした。
あの時の対応があれで良かったのかどうかはお一人お一人が感じて下さることだと思います。
この時の気持ちが、滋賀県内のラジオ放送局連携の機動力になったと言っても過言ではありません。
地域のコミュニティ放送局が出来ることの限界。それを強く知った日でもありました。
そのために、滋賀県内の局が連携して放送する事の意味があるのです。
私たちは、あの時のこと忘れてはならないと思います。
まだ、終わってはいないのですから・・・
3.11東日本大震災から1年経った今日あの日の出来事
Facebookアカウントでコメントする
Posted by 戦士エミリン at 15:57│Comments(1)
│えふえむ草津
この記事へのコメント
ますます、地域に根ざした「えふえむ草津」になると思います。
いろんなことが起こりますが、それをすべて前進の糧とされる姿に、感服しております。
ご活躍をお祈りしております。
いろんなことが起こりますが、それをすべて前進の糧とされる姿に、感服しております。
ご活躍をお祈りしております。
Posted by 柿添 かおる at 2012年03月14日 07:55