2010年10月17日
近江路・歴女ブロガー旅紀行 天女の羽衣と菅原道真編
「たび丸」が別の場所に行きたいというのでリフトを降りた場所で別れる。
ちょっぴり寂しいが仕方がない。
私はどうしても余呉湖に行きたかった。
余呉湖は天女の羽衣伝説が残る神秘の湖です。別名「鏡湖」とも呼ばれます。

天女が羽衣をかけた柳を発見!!
うん!?この木は柳なのか???看板は柳になっているけど・・・

いろんな伝説が伝えられていますが、羽衣を取った桐畑太夫と天女の間に生まれた子供が菅原道真であると伝える話があり菅原道真が幼少のころ過ごしたお寺がそばにあるということで、そのルートをたどることにしました。
そのお寺の名は「菅山寺」
参道が工事中だったので車で登ることができず、山道をひたすら登ります。(完全に登山)
う~ん、誰もいません。

道も細~い。滑るし落ちそう!
それに、ところどころに石仏が・・・

それに、さっきまで晴れていたかと思うと小雨も降ってきて、また晴れるの繰り返し。
山の天気は変わりやすい。
何度も戻ろうと思いながら、かれこれ1時間が経過・・・。
頭のとれた石仏発見!!(ちょっとこわいよ~)

ここまで来たら頑張らなきゃと思いなおして、そこからまた歩いて行くと下る道が・・・
あれ~、屋根らしきものが見えてきたとふと横を見ると何やら石が積まれている。
これ、後から調べたら菅山寺の歴代住職のお墓でした。
もう少し下ると建物が・・・



どうやら、ここが菅山寺。
鐘も国宝と書かれているのに、こんな山深く訪ねてくるものもなく静かな山寺でした。
ここでも、しばし昔を偲んでみる。
菅原道真が幼少過ごしたといわれるお寺。
本当は、もう少し奥に進んで行って山門に出ると樹齢1000年といわれている菅原道真が植えたという2本のケヤキがあるそうなのですが、晴れていたり雨が降ったりの天気だったのでこれ以上降りるのが怖くて、そのまま折り返して元来た道を戻る。
あ~あ、やっぱり「たび丸」についてきてもらえば良かった・・・と思いながら
つづく

ちょっぴり寂しいが仕方がない。
私はどうしても余呉湖に行きたかった。
余呉湖は天女の羽衣伝説が残る神秘の湖です。別名「鏡湖」とも呼ばれます。

天女が羽衣をかけた柳を発見!!
うん!?この木は柳なのか???看板は柳になっているけど・・・

いろんな伝説が伝えられていますが、羽衣を取った桐畑太夫と天女の間に生まれた子供が菅原道真であると伝える話があり菅原道真が幼少のころ過ごしたお寺がそばにあるということで、そのルートをたどることにしました。
そのお寺の名は「菅山寺」
参道が工事中だったので車で登ることができず、山道をひたすら登ります。(完全に登山)
う~ん、誰もいません。

道も細~い。滑るし落ちそう!
それに、ところどころに石仏が・・・

それに、さっきまで晴れていたかと思うと小雨も降ってきて、また晴れるの繰り返し。
山の天気は変わりやすい。
何度も戻ろうと思いながら、かれこれ1時間が経過・・・。
頭のとれた石仏発見!!(ちょっとこわいよ~)

ここまで来たら頑張らなきゃと思いなおして、そこからまた歩いて行くと下る道が・・・
あれ~、屋根らしきものが見えてきたとふと横を見ると何やら石が積まれている。

これ、後から調べたら菅山寺の歴代住職のお墓でした。
もう少し下ると建物が・・・



どうやら、ここが菅山寺。
鐘も国宝と書かれているのに、こんな山深く訪ねてくるものもなく静かな山寺でした。
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本当は、もう少し奥に進んで行って山門に出ると樹齢1000年といわれている菅原道真が植えたという2本のケヤキがあるそうなのですが、晴れていたり雨が降ったりの天気だったのでこれ以上降りるのが怖くて、そのまま折り返して元来た道を戻る。
あ~あ、やっぱり「たび丸」についてきてもらえば良かった・・・と思いながら
つづく
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歴史に残る日
特別共同番組「防災ラジオ滋賀2012」!!
「防災ラジオ滋賀2012」NHK大津放送局でサイトがオープン!
滋賀県ラジオ局防災共同プロジェクト
仏女の旅 Ⅵ 最終章編
仏女の旅 Ⅴ 観音様を巡る旅編
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Posted by 戦士エミリン at 15:22│Comments(0)
│滋賀県 ねた