2010年10月20日

近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷寺~姉川の合戦場編

山を下りてふもとの小谷寺へ・・・そうそう小谷城マップはパンフレットで確認してね。近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷寺~姉川の合戦場編

小谷寺・・・
近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷寺~姉川の合戦場編


浅井氏はここを祈願寺と定め、仏田を寄付して寺号を小谷寺と改めました。このころ小谷寺は浅井家の尊崇が深かったので、お市は幼い子どもたちを連れてたびたび詣でたことでしょう。お市や三姉妹にとって心のよりどころとなった場所でした。

近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷寺~姉川の合戦場編



近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷寺~姉川の合戦場編











日もかなり落ちてきたけど行きたい場所があった。
そこは「姉川の合戦場」
近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷寺~姉川の合戦場編


浅井・朝倉連合軍1万8千人は小谷城を出て大依山に陣を構え、6月28日未明野村・三田に移動し、姉川を挟んで対峙。(現在の野村橋付近)

近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷寺~姉川の合戦場編

 戦いは徳川軍の酒井忠次(実は戦士エミリンのご先祖らしい),小笠原長忠の隊が朝倉軍に突入して火蓋が切られ、緒戦は朝倉軍の攻勢で進んだ。一方、織田軍も浅井軍の先方磯野員昌のすさまじい攻撃に第一陣を破られ苦戦をしいられるが、朝倉軍が榊原康政の側面攻撃をうけて崩れだし、浅井軍も左側面から稲葉一鉄、右側面から氏家ト全等の攻撃に耐えかね、織田軍の13段の構えのうち11段まで崩し、信長の本陣を目の前にしながらも潰走。
 こうして午前5時頃に始まり、午後2時頃までにもおよんだ戦いによる戦死者は、浅井・朝倉軍が1,700余人、織田軍も800余人とみられ、負傷者はその3倍にもにもなると云われている。

近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷寺~姉川の合戦場編







戦士エミリンのご先祖と思われる方が登場する場所。
浅井家と酒井家。敵同士だけど同じ時代に登場したのでした。
ということは、「お江ちゃん」とは敵同士になるんだ・・・何だかちょっぴり淋しい気分になった日でした。



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Posted by 戦士エミリン at 18:23│Comments(0)滋賀県 ねた
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