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Posted by 滋賀咲くブログ at

2010年10月21日

近江路・歴女ブロガー旅紀行  竹生島 編

以前、ブログで大津にお住まいの日本画家 鈴木靖将先生の「まんまる月夜の竹生島」をご紹介しましたが
滋賀に住んでいながら行ってなかった場所・・・「竹生島」に行くことにしました。



長浜港はすぐ近く


観光船で行きます。

これは、海?(いえ、琵琶湖です)

竹生島は長浜港と今津港の間にあってちょうど琵琶湖の真ん中あたりかな。

竹生島はパワースポットの島でもあります。

竹生島神社 (都久夫須麻神社)


ご祭神は       


市杵島比売命(弁財天)宇賀福神、浅井比売命、龍神

弁財天さま、観音さま


ご神徳

交通安全・開運厄除
五穀豊穣・商売繁盛



本堂(工事中でした)に手を合わせたあとは「かわらけ投げ」。2枚のかわらに自分の名前と、お願いごとを書いてこの鳥居に向かって投げるというもの。写真の鳥居下の地面が真っ白に見えるのは、全部投げられたかわらなんです。


驚くことが・・・
何と2枚とも鳥居を見事に潜り抜けました!!
ありえな~い!?
願い事は、「滋賀県そして地域の発展のため、えふえむ草津が皆さんのお役に立ちますように・・・」

しまった!「素敵な恋愛ができますようにと願いを書けばよかったかな~?」(笑)


その鳥居を見降ろす場所、それが八大竜王の遥拝所。

ここを通って琵琶湖から竜神さまがあがってくるのです。


この竹生島は五大弁財天の一つ。
弁財天といったら七福神の一人。芸事・財産・女性・水の神様。


これは舟廊下(重要文化財)です。渡廊が都久夫須麻神社まで続きます。

舟廊下は豊臣秀吉の御座船日本丸を利用して作られたといわれています。











そして、宝厳寺観音堂入り口「唐門」(国宝)あれっ!!私逆走している模様です。


まあ、いいか~。


宝厳寺観音堂は、西国33所観音霊場の30番目の札所で多くの人が訪れています。フェリーでもお遍路さんいました。

この観音堂、唐門ともに豊臣秀頼の名を受け普請奉行の片桐且元が1603年に移築したものと伝わります。この名前皆さん覚えてらっしゃいますか?

近江国浅井郡須賀谷(現長浜市須賀谷町)の出身の武将で、羽柴(豊臣)秀吉の家臣として賤ヶ岳合戦で活躍し「賤ヶ岳七本槍」の一人ですよね。そして、秀吉の側室 淀殿(お茶々ちゃん)と最後を共にした武将でもあります。最後の最後まで秀吉の忠実な家臣でした。

ここでも浅井家とつながりが・・・






三重塔の横は宝物殿。宝物を見ることができました。案内もして頂けますよ。







島を満喫してフェリーで長浜港へ戻ります。


つづく・・・


Posted by 戦士エミリン at 20:55 Comments( 3 ) 滋賀県 ねた

2010年10月20日

近江路・歴女ブロガー旅紀行  お宿とお食事 編

さて、ここでお宿のご紹介

長浜駅にほど近い場所にある「グリーンホテルYES長浜  みなと館」

街側には同じ系列の「グリーンホテルYES長浜 駅前館」があるのですが、
私は、みなと館を選びました。

なぜなら・・・景色がすばらしい!!
びわ湖と長浜城がすぐそばなんです。


お部屋はこんな感じ

ご飯は、「駅前館」に移動して頂きました。

場所は「湖心亭」


「湖北のお味」も楽しめるし、何といっても「近江牛」おいしかったです。

皆さんは写真でお楽しみくださいね。








すごいな~と思ったのが、テーブルに置いてあったチラシ!
大河ドラマで盛り上げようという地元の方の心意気が伝わってきましたよ!!

う~ん、歩いて行った「たび丸」は今頃どこの宿場にいるのでしょうか?

ちょっと気になりながら、夜の街をお散歩

長浜駅前の「秀吉と光成の出会いの像」などもありました。






残念だったのは、お店が閉まるのが早い早い。17時頃には閉店です。

街に出るときはお早めにね。

そして、就寝。

明日は、船に乗ります。

つづく




Posted by 戦士エミリン at 21:36 Comments( 1 ) 滋賀県 ねた

2010年10月20日

びわ湖検定受付が31日まで延長!!

皆さんは滋賀県で開催されている「びわ湖検定」をご存知ですか?

今年で3回目の開催です。

日程は11月28日(日曜日)

本来なら今日10月20日が受付け締め切りなのですが・・・

なんとサプライズ!!

来年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」滋賀県推進協議会キャラクターの浅井三姉妹のピンバッチが申込者全員にプレゼントされることが急遽決定!!

そしてそして、合格者の中から抽選でキャラクターTシャツが30名様に当たります。

歴史が大好でお茶々ちゃん、お初ちゃん、お江ちゃんの浅井三姉妹が大好きな戦士エミリンにとっては、
とってもうれしい限り。


本日は、急遽ゲストにびわ湖検定実行委員会 事務局 北村 千里さんにお越しいただきその内容を
伝えて頂きました。(写真 右 紫のカーディガンが北村さん)



「江~姫たちの戦国」滋賀県推進協議会に入っている「えふえむ草津」としても(うん!?私が一番うれしいのかも・・・)大変うれしい情報です。


申込み忘れた方もまだチャンスがあります。

どうぞこの機会にびわ湖をそして滋賀を知ってみませんか!!

「えふえむ草津」78.5MHzで朝の9時32分(9・3・2草津時間)にやっている草津マスタークイズも
お楽しみに!!
番組を聞いてクイズに答えて草津市も知ってくださいね。




Posted by 戦士エミリン at 20:21 Comments( 1 ) 滋賀県 ねた

2010年10月20日

近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷寺~姉川の合戦場編

山を下りてふもとの小谷寺へ・・・そうそう小谷城マップはパンフレットで確認してね。

小谷寺・・・



浅井氏はここを祈願寺と定め、仏田を寄付して寺号を小谷寺と改めました。このころ小谷寺は浅井家の尊崇が深かったので、お市は幼い子どもたちを連れてたびたび詣でたことでしょう。お市や三姉妹にとって心のよりどころとなった場所でした。

















日もかなり落ちてきたけど行きたい場所があった。
そこは「姉川の合戦場」



浅井・朝倉連合軍1万8千人は小谷城を出て大依山に陣を構え、6月28日未明野村・三田に移動し、姉川を挟んで対峙。(現在の野村橋付近)



 戦いは徳川軍の酒井忠次(実は戦士エミリンのご先祖らしい),小笠原長忠の隊が朝倉軍に突入して火蓋が切られ、緒戦は朝倉軍の攻勢で進んだ。一方、織田軍も浅井軍の先方磯野員昌のすさまじい攻撃に第一陣を破られ苦戦をしいられるが、朝倉軍が榊原康政の側面攻撃をうけて崩れだし、浅井軍も左側面から稲葉一鉄、右側面から氏家ト全等の攻撃に耐えかね、織田軍の13段の構えのうち11段まで崩し、信長の本陣を目の前にしながらも潰走。
 こうして午前5時頃に始まり、午後2時頃までにもおよんだ戦いによる戦死者は、浅井・朝倉軍が1,700余人、織田軍も800余人とみられ、負傷者はその3倍にもにもなると云われている。









戦士エミリンのご先祖と思われる方が登場する場所。
浅井家と酒井家。敵同士だけど同じ時代に登場したのでした。
ということは、「お江ちゃん」とは敵同士になるんだ・・・何だかちょっぴり淋しい気分になった日でした。


Posted by 戦士エミリン at 18:23 Comments( 0 ) 滋賀県 ねた

2010年10月19日

近江路・歴女ブロガー旅紀行 小谷城跡編 ②

後ろ髪を引かれる思いで浅井長政のお墓を後にする。

まだまだ、先は長い。




「桜馬場跡」

「大広間跡」







「黒金門跡」


浅井家家臣のお墓も発見!!

「本丸跡」



「大堀切跡」



「御局屋敷」



「帯曲輪跡」



「中丸跡」












「京極丸跡」この辺りから余り人がいなくなる。


「小丸跡」

「山王丸跡」小谷城の詰めの丸
山王丸跡の大石垣。ここは良くパンフレットに載ってるところ。
こんな山深くにあったのね。





ここからはかなり険しいし、道が・・・ない!?しかしなんとか到着


「六坊跡」



先に行こうとしたけど、本当に道がない。
案内図を見ると「忍道」となっている。
一人だし何かあっても見渡す限り人がいないし、まだ行きたいところもある。


暗くなってきたし・・・
でも景色は最高!!

誰か忍道抜けて「月所丸跡」行った人いるかな~。

「月所丸跡」が発見されたのは、昭和46年だって。
う~ん、わかる気がする・・・だって本当に道らしき道がないんだもん。

「大嶽城跡」まで行きたかったんだけどな~。

今度別コースから行ってみよう!!

そして、下山。

山のふもとにあった小谷寺に行くことにした。

つづく・・・


Posted by 戦士エミリン at 21:25 Comments( 2 ) 滋賀県 ねた