近江路・歴女ブロガー旅紀行 最終 編

たび丸はちっちゃくなって、迎えに来るのを待っていた。
東海道・中山道を旅して歩くたび丸は私と別れた後、やっぱり歩いて旅をしていたようだ。
今回の旅でわかったこと。
滋賀県には歴史文化がたくさんあって、しかもとっても住みやすい場所だってこと。
そんな滋賀県に住んでる私はとっても幸せ。
もっともっとこの観光や歴史文化を県内外に伝えたいって強烈に思った。
そのためには、私自身がもっと滋賀県の観光文化に触れ滋賀県を知ることが必要。
滋賀県のよさってあんまり伝わってないんですよね。
それはあまりにもったいない。
滋賀県の観光や歴史文化を「えふえむ草津」の電波を使って県内外に伝えていくこと。
それが必要!!
そのためには、滋賀県の観光や歴史文化を伝える番組をつくっていかないとね。
たび丸と私が住んでいる草津市にも、素晴らしい場所がたくさんあります。
皆さんも、一緒に自分たちが住んでいる場所。足元を見つめ直してみませんか?
そのための情報収集も頑張らないと。

そうそう、11月5日6日には草津市の商店街で「くさつ街あかり・華あかり・夢あかり」が開催されます。
商店街通りや草津の歴史あるお寺などが、ボランティアの手作りあんどんで照らされます。

「えふえむ草津」があるくさつ夢本陣前の広場もイベントが行われますので、どうぞ皆さんお越しくださいね。
機会があれば、草津周辺の歴史の旅をご紹介しますね。
近江路・歴女ブロガー旅紀行 上平寺 編
どこに行きたかったのかというと、それはここ「上平寺」

京極氏が住んでいた場所である。
上平寺区内に伊吹神社があり、その裏一帯が居館跡。
「御屋形」「弾正屋敷」「蔵屋敷」「隠岐屋敷」「厩」と記された方形区画が数多く認められる。
「御屋形」は言うまでも無く京極氏の居館を指すもので、この背後には「御自愛泉石」と記された部分がある。
これは庭園のことらしい。今も瓢形の池や立石が残っています。








ゆっくり山登りしたかったんだけどすでに夕方。
たび丸のことも気になるので山の上に行くのは断念しました。
京極氏一族のお墓にお参りもできて満足。
入口付近にはこんな木も・・・
あ~あ、時間が足りないな~。残念。
滋賀は貴重な歴史文化がいっぱい。
上平寺また来よう!!


さて、たび丸はどうしているかな~?
つづく

京極氏が住んでいた場所である。
上平寺区内に伊吹神社があり、その裏一帯が居館跡。
「御屋形」「弾正屋敷」「蔵屋敷」「隠岐屋敷」「厩」と記された方形区画が数多く認められる。
「御屋形」は言うまでも無く京極氏の居館を指すもので、この背後には「御自愛泉石」と記された部分がある。
これは庭園のことらしい。今も瓢形の池や立石が残っています。








ゆっくり山登りしたかったんだけどすでに夕方。
たび丸のことも気になるので山の上に行くのは断念しました。
京極氏一族のお墓にお参りもできて満足。
入口付近にはこんな木も・・・
あ~あ、時間が足りないな~。残念。
滋賀は貴重な歴史文化がいっぱい。
上平寺また来よう!!


さて、たび丸はどうしているかな~?
つづく
近江路・歴女ブロガー旅紀行 清滝寺徳源院 編
次に行ったのは、今回一番行きたかった場所。
「清滝寺徳源院」
京極氏初代氏信が弘安6年に創建した京極氏の菩提寺です。国史跡京極氏墓所、京極導誉ゆかりの桜、血染めのもみじで有名な庭園などのあるところです。

中はこんな感じ



これは誰のお墓??

のぞきこむと「高次」の名が・・・お初ちゃんの御主人「京極高次」さまのお墓でした。

周りはすごく静かです。誰もいません。
とそこにたび丸から携帯に連絡が・・・
え~っ!!なんでたび丸が携帯に連絡できるんだ??
あっ!!すっかり忘れていました。
たび丸はこのブログでも書いたようにtwitterをも使いこなす草津のキャラクターだった。
どこにいるの?って尋ねると柏原の宿にいるとのこと、草津に帰りたいから
迎えに来てと・・・
しかし、私にはもう一カ所行きたい場所があったのです。
せっかくここまで来たので、たび丸には悪いけどもう少し待ってもらうことにした。
その場所とは・・・
つづく
「清滝寺徳源院」

京極氏初代氏信が弘安6年に創建した京極氏の菩提寺です。国史跡京極氏墓所、京極導誉ゆかりの桜、血染めのもみじで有名な庭園などのあるところです。

中はこんな感じ



これは誰のお墓??

のぞきこむと「高次」の名が・・・お初ちゃんの御主人「京極高次」さまのお墓でした。

周りはすごく静かです。誰もいません。
とそこにたび丸から携帯に連絡が・・・
え~っ!!なんでたび丸が携帯に連絡できるんだ??
あっ!!すっかり忘れていました。
たび丸はこのブログでも書いたようにtwitterをも使いこなす草津のキャラクターだった。
どこにいるの?って尋ねると柏原の宿にいるとのこと、草津に帰りたいから
迎えに来てと・・・
しかし、私にはもう一カ所行きたい場所があったのです。
せっかくここまで来たので、たび丸には悪いけどもう少し待ってもらうことにした。
その場所とは・・・
つづく
近江路・歴女ブロガー旅紀行 醒井楼と三蔵記念堂 編
行きたかったのは「醒井楼」
米原市 醒ヶ井渓谷にあります。
以前、水環境科学館のイベント JAZZり場で湖魚「虹鱒」を食べなきゃ滋賀県人とは言えないと、守山魚業の戸田さんや日本画家の鈴木靖将先生などにダメだしされた戦士エミリン。
何が何でも今回の旅で湖魚「虹鱒」を食べようと決めていました。
創業者である松尾寺(まつおじ)住職78世は、隣接の醒ヶ井養鱒場(さめがいようそんじょう)の虹鱒、ビワマスを世に出す事業を手がけました。
虹鱒料理専門店 「醒井楼」 (さめがいろう)として、親子三代にわたり、里の発展を願いながら、自然の食材をベースに、安心安全、手造り、炭火の味を提供してくださいます。

写真は住職の奥様とお母様
住職自ら包丁をふるっていらっしゃるのにはビックリ!!もちろん松尾寺の維持もされています。
歴女ブロガーだと話をすると、いろいろ見ていってくださいとお部屋に通されて…

素晴らしい景色。
「虹鱒」が焼けるまで見学。
お部屋にはビックリするものが・・・「天狗の爪」に「馬の角」??その他いろいろ
なんでこんなのが料亭に???




ここは歴史の宝庫です。
さて、お食事です。
もちろん、「虹鱒」これっ~!!驚くほどおいしかった。これが、琵琶湖の魚です。
大河ドラマにちなんで「浅井三姉妹御膳料理」「江姫の腕料理」「茶々姫の腕料理」「初姫の腕料理」を特別メニューとして出してくださいます。
お部屋に飾ってあったのですが、頂いてもいいということで「アケビ」をパクリ!!
木になっているだけだと鳥が来て食べちゃうから、お部屋に飾ってみましたとおっしゃっていましたが・・・
お~い!なんでも食べるんじゃない!!(笑)
あま~い!でも、種がいっぱい!!

滋賀県の幸を堪能した戦士エミリンでした。
この辺りは、水がきれいでわき水もいっぱい!!
入口のところに霊山三蔵記念堂があるのでここも見学。



そうそう、松尾寺のご本尊は飛行観音
松尾寺のご本尊は、役(えん)の行者が修行されているときに、雲に乗って飛んでこられたと伝わる飛行観音像(秘仏)で、本堂上の影向石の上に降りられました。
「紫の雲の上よりきますてふ仏の迎ひ松の尾の寺」
と呼んだ歌もあります。現在は「醒井駅」近くに飾られています。

これは、お店の入口にある、役(えん)の行者の斧(よき)割水
役の行者がお堂を建てようと、場所を探されましたが、山の上のために水が得られません。
そこで、弟子の一人に自然石を斧で割らせると、水がこんこんと湧き出しました。今でも清水が流れ出ています。
素晴らしいお料理と景色を堪能した戦士エミリンは、先を急ぎます。
つづく

米原市 醒ヶ井渓谷にあります。
以前、水環境科学館のイベント JAZZり場で湖魚「虹鱒」を食べなきゃ滋賀県人とは言えないと、守山魚業の戸田さんや日本画家の鈴木靖将先生などにダメだしされた戦士エミリン。
何が何でも今回の旅で湖魚「虹鱒」を食べようと決めていました。
創業者である松尾寺(まつおじ)住職78世は、隣接の醒ヶ井養鱒場(さめがいようそんじょう)の虹鱒、ビワマスを世に出す事業を手がけました。
虹鱒料理専門店 「醒井楼」 (さめがいろう)として、親子三代にわたり、里の発展を願いながら、自然の食材をベースに、安心安全、手造り、炭火の味を提供してくださいます。

写真は住職の奥様とお母様
住職自ら包丁をふるっていらっしゃるのにはビックリ!!もちろん松尾寺の維持もされています。
歴女ブロガーだと話をすると、いろいろ見ていってくださいとお部屋に通されて…

素晴らしい景色。

「虹鱒」が焼けるまで見学。
お部屋にはビックリするものが・・・「天狗の爪」に「馬の角」??その他いろいろ
なんでこんなのが料亭に???




ここは歴史の宝庫です。
さて、お食事です。

もちろん、「虹鱒」これっ~!!驚くほどおいしかった。これが、琵琶湖の魚です。
大河ドラマにちなんで「浅井三姉妹御膳料理」「江姫の腕料理」「茶々姫の腕料理」「初姫の腕料理」を特別メニューとして出してくださいます。

お部屋に飾ってあったのですが、頂いてもいいということで「アケビ」をパクリ!!
木になっているだけだと鳥が来て食べちゃうから、お部屋に飾ってみましたとおっしゃっていましたが・・・
お~い!なんでも食べるんじゃない!!(笑)
あま~い!でも、種がいっぱい!!

滋賀県の幸を堪能した戦士エミリンでした。
この辺りは、水がきれいでわき水もいっぱい!!
入口のところに霊山三蔵記念堂があるのでここも見学。



そうそう、松尾寺のご本尊は飛行観音
松尾寺のご本尊は、役(えん)の行者が修行されているときに、雲に乗って飛んでこられたと伝わる飛行観音像(秘仏)で、本堂上の影向石の上に降りられました。
「紫の雲の上よりきますてふ仏の迎ひ松の尾の寺」
と呼んだ歌もあります。現在は「醒井駅」近くに飾られています。

これは、お店の入口にある、役(えん)の行者の斧(よき)割水
役の行者がお堂を建てようと、場所を探されましたが、山の上のために水が得られません。
そこで、弟子の一人に自然石を斧で割らせると、水がこんこんと湧き出しました。今でも清水が流れ出ています。
素晴らしいお料理と景色を堪能した戦士エミリンは、先を急ぎます。
つづく
近江路・歴女ブロガー旅紀行 長浜城 編
観光船を降りて向かった先は長浜城。
中の資料館では石田三成生誕450年記念「石田三成と湖北」をやっていました。
石田三成が誕生して今年は450年になるのですね。
天守台は、模擬天守を建てるときに新たに築かれたものだと思われますが、本の丸(天守台西側)には、一部ですが築城当時の石垣が残っています。
天守閣から景色を眺めちょっぴりお殿様の気分を味わってみる・・・


周辺を散策すると太閤井と呼ばれる井戸が湖岸にあって、石碑が建てられていました。
それに天守閣跡。
そして、秀吉の像。
長浜城を建てた時、人柱となった「おかね」さんの悲しい物語も知ることができました。

長浜城周辺にはお堀の跡なんかがありますが、形は全く見えてこないですね。
駐車場やマンションの片隅に石碑が立っていました。

散策したらもうお昼過ぎてた。
昨日は、ごはん食べるの忘れて山登りしていたので、今日はちょっとゆっくり食事をしようと思って
ある場所に行くことにした。
ある場所とは・・・
つづく

中の資料館では石田三成生誕450年記念「石田三成と湖北」をやっていました。
石田三成が誕生して今年は450年になるのですね。

天守台は、模擬天守を建てるときに新たに築かれたものだと思われますが、本の丸(天守台西側)には、一部ですが築城当時の石垣が残っています。
天守閣から景色を眺めちょっぴりお殿様の気分を味わってみる・・・


周辺を散策すると太閤井と呼ばれる井戸が湖岸にあって、石碑が建てられていました。

それに天守閣跡。


長浜城を建てた時、人柱となった「おかね」さんの悲しい物語も知ることができました。

長浜城周辺にはお堀の跡なんかがありますが、形は全く見えてこないですね。
駐車場やマンションの片隅に石碑が立っていました。

散策したらもうお昼過ぎてた。
昨日は、ごはん食べるの忘れて山登りしていたので、今日はちょっとゆっくり食事をしようと思って
ある場所に行くことにした。
ある場所とは・・・
つづく